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TOPさえぐさ日誌無名な有名人、楢崎皐月😎!

さえぐさ日誌

2022.09.04

  • カタカムナ
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  • 歴史

無名な有名人、楢崎皐月😎!

楢崎皐月、1899年山口で生まれる。その後、両親は
北海道に移り住んだので北海道で出生届が出され、
戸籍上は小樽市になっている。

後に電子部門の学校に行った後、人造石油の研究で
軍部の目に留まり、満州で高純度製鉄の業務に就く。

そこで場によって製鉄の出来不出来があることを知り、
イヤシロチの着想を得る。

終戦の前年、1944年に老子廟で蘆有三導師に会い、
上古代の日本に「アシヤ族」という高度な文明を
築いた民族がおり、「八鏡の文字」を使い、

様々な技術を開発し、中国人と言われているが、
実は神農という人物によって日本から中国に高度な
文明が伝えられ、中国文明の元になったと教えられ、

常識とかけ離れた話であったが、蘆有三を深く尊敬
していた楢崎はこれを信じた🤗

戦後は食糧難を解消するための農法の研究として、
全国の電位分布実測調査を行う内、1949年
(宇野多美恵談)、1955年(娘談)に、
兵庫県六甲山山系の金鳥山で、カタカムナ神社の
宮司の平十字と名乗る人物と出会い、カタカムナ文字
とされる巻物を見せてもらう🤗

楢崎はこれを、蘆有三に教えられたアシヤ族の
「八鏡の文字」で書かれたものであると確信し、
数日間を要し大学ノートにそれを写させて貰った🤗

解読から15年ほど経った1960年頃、その余りに
常識外れな科学的内容を主に科学者たちに伝えていった。

1969年、夫が亡くなったばかりで、外交官の未亡人であり、
義理の父は弓道界のドンであった宇野多美恵に出会い、

彼女に原文の保持を頼みつつ、カタカムナの教授は正味は
数ヶ月であったが(宇野多美恵は科学的知識があまり無かった
為)、1974年、後を託して亡くなった。

まとめると🤗

楢崎は大学の入学試験に遅れるというハプニングで
大卒にはなれ無かったものの、実力主義の陸軍が放っておく
訳もなく、すぐさま、満州で彼の自由な研究を応援し、彼は
製鉄の仕事でイヤシロチの構想を得る。

終戦の前年、熱伝導が脅威的な鉄瓶の持ち主であった高名な
老師に会い、譲ることはできないが、これは元々、日本の
ものである、という話に感銘を受ける。

帰国後、まもなく、神戸の山中でカタカムナ文字に出会い、
解読に15年の月日を要したが、科学者たちに講義を続けて
いたが、1969年、宇野多美恵に会い、原文を託し、この世を
去った。享年75。

このブログは、天龍寺マコト先生のFacebook投稿から記事を転載してアップしています。