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TOPさえぐさ日誌合氣道の養神館とカタカムナの楢崎皐月の深いご縁とは?🤗

さえぐさ日誌

2024.03.16

  • カタカムナ
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  • 歴史

合氣道の養神館とカタカムナの楢崎皐月の深いご縁とは?🤗

我が恩師、塩田剛三館長の養神館の大スポンサーが

戦前マルキスト、のちに愛国者になった
国策パルプ社の南喜一であったが、

https://www.aikidoshibuya.tokyo/post/2017/08/18/yoshinkan

南喜一のもう一つの敗戦直後の顔が、

日本の国防軍復活の為の自衛同盟の中央委員
であったことである。

その双璧が、隣に書かれているカタカムナの
楢崎皐月であった!🤗

(ここでの名前は楢崎星月と偽名を使っているが、
楢崎皐月さえ、偽名でないかと疑われているが、・・)

そして、楢崎が懇意にしていた山形支部長が
平十次であった!

楢崎は、宇野にはカタカムナ文献は
昭和24年25年の年末年始に発見した
と嘘を付いて教えているが、

実際には、6年後の昭和30年31年の年末年始、
普段、家を空けない楢崎が戦後初めて家を
一か月も空けたのは後にも先にもこの時だけで
あったと、妻子は伝えている始末である!🤗

そして、平十次は平十字と少し名前を変えて、

宇野には時期だけでなく、登場人物も謎の
猟師としてカモフラージュして伝えている🤗

自衛同盟の発起人は後に国会議員になった
辻政信であるが、ベトナム戦争終結の為、
北ベトナムの代表、ホーチミンに会いに
行くと言って、1961年ラオスで消息を
絶っている🤗

とにかく、あの頃は何でも隠匿、
秘密にしなければ、

OSS・GHQに目に付けられたら
最期の時代であった!🤗

戦後のカタカムナの発見の歴史は、

スピ系や単純思考の能天気な解説者が
吠えていられていたのは今までであって、
これからは付け入る隙はほとんどないと
いうのが実情ではないでしょうか?🤗

(第一、そういういい加減な解説では
大変、危険な末路に実際、皆、なって
いるので用心して欲しいと思っている。

あくまで老婆心ながら書いているに
過ぎない。また、それを
真似る人たちも、同じ運命を辿るのは
歴史の必然がそれを証明している)

しかし、今こそカタカムナは
明確にしなければならない!

もっと、わかりやすく実用性のある
本来の形に戻さなければならない🤗!

そして、その価値は十分にあり、

真実のカタカムナだけが、
日本の再建に唯一、役立つものに
なると私は思うのであります🤗!

このブログは、さえぐさ誠先生のFacebook投稿から記事を転載してアップしています。