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NIHONJIN KYOKAI · ARCHIVE

当時の高野山の太元帥法は本物だった

目次
  1. 当時の高野山の太元帥法は、本物!
  2. 信長公の首は、どこ

当時の高野山の太元帥法は、本物!

さて、織田信長はどうして、殺されたのでしょう

皆、色々、言っていますが、簡単です

信長は、比叡山を焼き尽くしましたが(実際は、今も比叡山は回復していない程、燃やされました)、次は高野山(弘法大師の霊廟がある山)でした。

1581年8月から信長軍は攻めましたが、
木食応其(もくじきおうご)上人が太元帥法で、
調伏し、1582年6月、信長、京都本能寺で死去。

‪太元帥法という調伏で亡くなったのは、織田信長だけでなく平将門も調伏と同時に亡くなっています。
また、元寇の時も修し、神風が来て、敵は滅んでいます。
‬
ちなみに、太元帥法は太元帥明王を本尊にして修するわけですが、大日本憲法で軍人の最高位を元帥、天皇を大元帥と呼んだのは、ここから来ています

(*太元帥も大元帥も、ダイゲンスイと発音)

高野山が修した太元帥法は本物だったんですね

さすが、カタカムナの聖地、四国で修行した
弘法大師のお山ですね恐ろしいお力です

 

信長公の首は、どこ

本能寺の変で自害した信長の首はどこに有る

それは本能寺から遠く離れた静岡県富士宮市西山本願寺にある。

西宮本願寺

信長さんは、毎日、富士山を見ているのですね。

https://www.travel.co.jp/guide/article/5932/

知る人ぞ知る場所ですが、参りたいと思います。

*さらに知りたい人は、noteの読者は特別に!
以下をご覧ください。
https://matome.naver.jp/odai/2139868252440297801

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