誰も教えない歴史 誰も読まない歴史 それでも書く歴史🤗
実質、伊藤博文が半島で殺されて、
大日本国憲法の使い方を誰も知らず、
すでに、昭和11年すでに綻びが!
それが二二六事件である。
結局、議会は対応できず、
昭和20年の天皇によるレコード終戦詔勅と同じく、
越権行為で天皇がしゃしゃり出るしか無く、
収拾をつけたが、ことの本質を収めた訳では無かった。
その為、翌年、昭和12年から盧溝橋事件が起き、
日中事変が始まり、昭和16年の太平洋戦争に
繋がっていく(日中事変を戦争と当時から表記
して戦争と呼ばなかったのは、戦争なら天皇の
裁定を受けなければいけないので、事変なら
勝手に軍隊が動けた制度であった。すでにその時、
議会は一切の機能をしていなかった)。
そして、昭和20年8月15日終戦の詔勅は発せられるが、
7年間の占領期間を経て、本当に戦争が終わったのは、
1952年昭和27年、サンフランシスコ講和条約が
発効した時であり、4月28日がひとまずの終戦、
プレハブの独立の日である。
占領軍が進駐軍と名前を変え、さらに駐屯軍と名前を
変えた占領軍が駐屯する偽国家が誕生したわけです。
戦争は終わっていない。戦闘はないが、時々、起こる
銀行のキャッシュカードの集団誤作動も全て、超限戦
の戦争が続いている証である。もちろん、政府もマスコミ
も言わない。言えない、倒壊国、日本!(つづく)🤗
このブログは、天龍寺マコト先生のFacebook投稿から記事を転載してアップしています。