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さえぐさ日誌

2024.10.25

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  • 歴史

祝福と呪いの分岐点

ヘブライ語へーレム、日本語では不思議な造語、
聖絶と訳される。
あえて言えば、
神が定めた正当なる聖なる虐殺、皆◯しである。
聖書のヨシュア記によれば
約束の地と神が定めた地は
先住民の皆◯しによって
入植地を可能にした。
まさに現在、再び、第二のヨシュア記が
ネタニアフ・イスラエル首相によって
記録されようとしている。
彼は聖絶として行なっていると自覚する。
かつて、世界の同情を集めた
ナチスのユダヤ人絶滅行為は
ユダヤの歴史の因果応報に因るというのか?
また、聖書はいう、
聖絶の不履行は呪いとなり、
実行は祝福となる分岐点だと。
神父も牧師もスルーするか
言い訳に苦しい偽善的な態度を取る
ヨシュア記だが、
キリスト教が世界に広がった影の
原動力がここにあるのか?
岡山サムハラの神もご利益最高、
祟り最高の二律背反の神である。

このブログは、さえぐさ誠先生のFacebook投稿から記事を転載してアップしています。