祝福と呪いの歴史は旧く、強烈であり、今も続く
旧約聖書は残虐非道な虐殺の「記録」でもある。
ユダヤの人々は、無人の荒れ地を苦しみながらさまよい、
無人の「約束の地」を発見して開墾、
定住したのかと思う人がほとんどだ!
実際に聖書に描かれていたのは、
神に導かれるまま次々に先住民を
滅ぼしていく好戦的な部族の姿である。
預言者モーセに率いられた彷徨える
イスラエル人たちは、行く先々の先住民と
戦っては皆殺しにしていく。滅ぼし尽くせ、
あわれみを示してはならない、と神は命じる。
ところが、ミディアン人との戦いで、
戦闘部隊は「男子を皆殺しにした」ものの
女子供は捕虜にした。するとモーセは怒って、
「子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て
男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、
まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくが良い」と命じた(民数記)。
モーゼの死後にイスラエル人を率いたヨシュアは、
アイの全住民「男女一万二千人」を「滅ぼし尽く」し、
「山地、ネゲブ、シェフェラ、傾斜地を含む全域を征服し」
「息ある者をことごとく滅ぼし尽くした」(ヨシュア記)。
「虐殺者としての古代イスラエル人」という話は
多くの人にとって欠片も聞いたことがない話である。
19世紀のアメリカにおける「西部開拓」という建国?は、
「約束の地」を目指すものであり、それが白人や
ユダヤ人マルクスの共産主義者、毛沢東の正体?
共産主義であり、根拠は聖書にあった?
イスラエルの原理主義者たちが、
ヨルダン川西岸のパレスティナ自治区や
東エルサレムで、パレスティナ人を居住地から
追い出してまで入植地を増やす根拠も聖書にある?
国際的に大きな批判を受けでも、
そこまで理不尽なことをやる根源が聖書にある。
パレスティナ入植運動と旧約にある古代イスラエル人とを
結びつける解説を聞く機会はテレビにも新聞にもありはしない。
だが、諸悪の根源を聖書に押し付けることはできない。
祝福と呪いの歴史は旧く、強烈であり、今も続く。
このブログは、さえぐさ誠先生のFacebook投稿から記事を転載してアップしています。