合氣道の養神館とカタカムナの楢崎皐月の深いご縁とは?🤗
我が恩師、塩田剛三館長の養神館の大スポンサーが
戦前マルキスト、のちに愛国者になった
国策パルプ社の南喜一であったが、
https://www.aikidoshibuya.tokyo/post/2017/08/18/yoshinkan
南喜一のもう一つの敗戦直後の顔が、
日本の国防軍復活の為の自衛同盟の中央委員
であったことである。
その双璧が、隣に書かれているカタカムナの
楢崎皐月であった!🤗
(ここでの名前は楢崎星月と偽名を使っているが、
楢崎皐月さえ、偽名でないかと疑われているが、・・)
そして、楢崎が懇意にしていた山形支部長が
平十次であった!
楢崎は、宇野にはカタカムナ文献は
昭和24年25年の年末年始に発見した
と嘘を付いて教えているが、
実際には、6年後の昭和30年31年の年末年始、
普段、家を空けない楢崎が戦後初めて家を
一か月も空けたのは後にも先にもこの時だけで
あったと、妻子は伝えている始末である!🤗
そして、平十次は平十字と少し名前を変えて、
宇野には時期だけでなく、登場人物も謎の
猟師としてカモフラージュして伝えている🤗
自衛同盟の発起人は後に国会議員になった
辻政信であるが、ベトナム戦争終結の為、
北ベトナムの代表、ホーチミンに会いに
行くと言って、1961年ラオスで消息を
絶っている🤗
とにかく、あの頃は何でも隠匿、
秘密にしなければ、
OSS・GHQに目に付けられたら
最期の時代であった!🤗
戦後のカタカムナの発見の歴史は、
スピ系や単純思考の能天気な解説者が
吠えていられていたのは今までであって、
これからは付け入る隙はほとんどないと
いうのが実情ではないでしょうか?🤗
(第一、そういういい加減な解説では
大変、危険な末路に実際、皆、なって
いるので用心して欲しいと思っている。
あくまで老婆心ながら書いているに
過ぎない。また、それを
真似る人たちも、同じ運命を辿るのは
歴史の必然がそれを証明している)
しかし、今こそカタカムナは
明確にしなければならない!
もっと、わかりやすく実用性のある
本来の形に戻さなければならない🤗!
そして、その価値は十分にあり、
真実のカタカムナだけが、
日本の再建に唯一、役立つものに
なると私は思うのであります🤗!
このブログは、さえぐさ誠先生のFacebook投稿から記事を転載してアップしています。