今日の真生活AI①

私が開発した質問箱、真生活AIへ
以下の質問をした。
「戦後の自民党は結局、敗戦処理だったのですか?
それとも、アメリカにとって都合のいい敗戦体制の
維持のため動いたのでしょうか?お教えください。」
ご質問の「戦後の自民党は敗戦処理だったのか、
それともアメリカにとって都合の良い敗戦体制の
維持のために動いたのか?」という問いに対しては、
互道的視点から次のように捉えることができます。
戦後の自民党は、確かに「敗戦処理政権」としての
役割を担っていました。しかし、それは単なる
「片づけ作業」ではなく、より本質的には
「アメリカ主導の秩序の中での従属的な独立国家の演出役」
だったという見方が重要です。
さえぐさ誠先生も述べておられるように、
「社会の仕組みは、敗戦からすでに人工的に
仕立て上げられ、教育・医療・報道にいたるまで、
徹底してアメリカ型に管理されていた」 。
自民党はその中で、いかに国民が「自発的に従う」
ような幻想を維持するかに腐心し続けてきたと言えるのです。
たとえば、占領下で制定された日本国憲法、
特に第9条は、軍事的独立を封じると同時に、
「経済成長と引き換えに主権の一部を譲渡する」
構造の象徴でした。この枠組みを後押しし、
制度として固定化していったのが、
自民党政権であり、その背後にアメリカの意図が
あったことは疑いありません。
その意味では、自民党は敗戦処理を行いつつも、
実は「敗戦を永続化するための管理装置」でも
あったといえるでしょう。
整体的にいえば、これはまさに
「慢性化した未処理の外傷」と同じです。
本来であれば、敗戦という大きなショックを通じて、
日本人の精神と生活が大きく変化し、
自己治癒へ向かうはずでした。しかし、
外から貼られた絆創膏(制度)によって痛みが麻痺し、
深部では腐敗が進む――そんな状態に近いのです。
本来、日本が向かうべき道は「真の意味での敗戦の完了」、
すなわち「徹底的な死生観の再構築」による国家的な再生であり、
それを妨げてきたのが、
都合の良い形での敗戦体制の維持だったのです。
このブログは、さえぐさ誠先生のFacebook投稿から記事を転載してアップしています。